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| ◆夜の森公園の桜並木 |
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1900年(明治33年)農村開発のモデルケースとして新しい村づくりに理想を求めた相馬郡小高町出身の半谷清寿は、夜の森地内の共有原野4万平方メートルと大菅地内の1万2千平方メートル、併せて5万2千平方メートルを入手。
不毛の原野を朝日ヶ原と名付け、開拓にとりくむ。清寿は原野開拓記念に、宅地周辺に「染井吉野」桜300本植樹。明治40年春、半谷清寿の奨めにより相馬郡鹿島町出身の但野芳蔵が一家を挙げて夜の森に移住。原野5万平方メートルを購入、農業経営に着手。 |
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明治43年、父清寿から夜の森の農場経営を任された23歳の半谷六郎が雑草の繁茂する草原の一本道の両側に「染井吉野」桜1000本を植え付ける。1921年(大正10年)3月夜ノ森駅が出来る二十余年、半谷、但野の開拓によって拓かれた原野は農場と化し、駅前通りの北側を「半谷の原」南側から小森堤までを「但野ヶ原」と呼んだ。
その後、昭和5年に上岡小学校(富岡二小)落成記念に桜の植樹、昭和26年双葉中学校(富岡二中)落成記念事業として道路両側に桜が植樹され、現在、桜花爛漫と咲き盛る桜のトンネルをつくる。これが桜並木の由来であり、満開の夜の森の桜は、富岡町だけでなく、県内有数の名所として賞され、見る者に潤いを与え、愛惜される。
(財)日本さくらの会創立25周年を記念した『日本のさくら さくら名所100選』の中で『別選 さくら名所50選』として日本各地の桜の名所と共に堂々と名を連ねている。 |
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| ◆夜ノ森駅の桜とつつじ |
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1926年(大正15年)新田町の飯塚六郎が夜ノ森駅の開設を記念し、染井吉野の桜の苗木200本を寄付し植えたもので、線路の上に枝もたわわに咲き誇る花片が車窓にのびて、旅ゆく人の心を和ませる。昭和20年以降但野芳美が八重桜の苗を200本植えることにより桜の開花時期が一段と長く保たれる。 駅のつつじは、昭和14年半谷六郎が明るい駅のイメージにしようと埼玉県安行から「キリシマ」「オオムラサキ」「サツキ」の苗を4000本購入し、地域の人々の協力により、ホーム両側の土手に植え付ける。昭和31年には、さし木で育成した1000本の苗木を植え、駅長佐藤信、駅職員が一丸となって、手入れを行う。「花の森」を目標に継続され、人々の熱意により捕植、施肥、下刈りの努力が実って、昭和56年11月、第18回全国花いっぱい「花と緑の駅コンクール」において最優秀賞、総理大臣賞受賞の栄誉を得た。このように現在、車窓から見られる花の色の鮮やかさ、真紅、黄、紫、桃、白、大輪小輪の花模様、華麗に色彩られるつつじの美しさは、夜の森の人々の苦労の結晶の賜で、花を愛しむ人々の真心である。 |
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